ドイツの首都であるベルリンには様々な見所があります。その中で多くの人が思い浮かべるのはベルリンの壁や博物館島、そしてブランデンブルク門かもしれません。特にブランデンブルク門は、ニュース中継の背景になったり、ドイツのイメージ写真として使われることが多く、ドイツのシンボル的な場所といえるでしょう。
そのためベルリンを訪れた際に、ブランデンブルク門を訪れる人は少なくないはずです。そこで今回の記事では、そんなブランデンブルク門について紹介したいと思います。
ベルリン市街地への玄関だったブランデンブルク門
ブランデンブルク門があるのはベルリンの中心部の場所。近くにはドイツの国会議事堂や、森のような広大な公園ティアガルテンがあります。位置する場所はベルリン中心部の中心といえるでしょう。門を抜けて東側に向かうと、そこから目抜き通りであるウンター・デン・リンデンが伸びています。通りはベルリン大聖堂やベルリン王宮のある博物館島まで1.5キロほど伸びています。
その通りに沿ってベルリン国立歌劇場やフンボルト大学など歴史的な建物が軒を連ねるため、ベルリン観光のスタート地点にふさわしい場所になっています。
ブランデンブルク門の上に立つ勝利の女神ヴィクトリア
ブランデンブルク門は古代ギリシア風のデザインを取り入れて建てられています。高さは26メートルもあり、目抜き通りのウンター・デン・リンデン沿いからなら、どこからでも見える巨大な建築物です。そのような門の上に設置されているのは4頭立ての馬車に乗った勝利の女神ヴィクトリアです。
ナポレオンがベルリンを占領した際に、ヴィクトリアの像はパリへと奪い去られました。しかしドイツの母体となったプロイセンがパリを占領すると、ヴィクトリアの像は取り返されることになります。それに合わせてブランデンブルク門に面する広場はパリ広場という名前に変えられたのでした。
統一ドイツのシンボルであるブランデンブルク門
今では通り抜けることができるブランデンブルク門ですが、誰も通り抜けられない時代がありました。それは東西ドイツ分裂の時代です。第二次世界大戦後にドイツは分割され、ドイツの首都ベルリンも東西に分割されてベルリンの壁が築かれました。そんな壁はブランデンブルク門のすぐ横に築かれたのです。
そのため門に近付くこともできなければ、通り抜けることもできなかったのです。1989年にベルリンの壁が崩れ、東西の行き来ができるようになります。そしてブランデンブルク門も再び通り抜けることができるようになり、今では街の東西を繋ぐドイツ統一のシンブルにもなったのです。
様々なメッセージを発する場でもあるブランデンブルク門
ベルリンの歴史を目撃してきたブランデンブルク門は歴史的にも、そして政治的にも重要な場所です。そんな場所では世界的な事件が起きると、それに対応して世界へとメッセージを発しています。例えば、ウクライナで戦争が起きたときには、ブランデンブルク門はウクライナの国旗でライトアップされました。またイギリスのエリザベス女王が亡くなったときには、イギリスの国旗でライトアップされています。
そのため、こうした場所で世界へメッセージを送ろうと、ブランデンブルク門前のパリ広場では頻繁にデモが開催されています。ブランデンブルク門はただの観光スポットではなく、非常に重要な場所でもあるのです。
ベルリン訪れるなら、ブランデンブルク門で歴史を感じてみよう
ブランデンブルク門はドイツのシンボルとして知られている場所です。そんな場所はランドマークとしての観光スポットだけではありません。ここではベルリンの壁が築かれたこともあり、ドイツが分裂していたことを実感することもできるでしょう。
このようにブランデンブルク門は、シンボル的な場所だけでなく歴史的な場所でもあるのです。そんな歴史を感じるためにもブランデンブルク門を訪れてみてはどうでしょうか。
ブランデンブルク門 / Brandenburger Tor
アドレス: Pariser Platz, 10117 Berlin
Website: ブランデンブルク門