ベルリンと言えば、多くの人が思い浮かべるのはベルリンの壁でしょう。ベルリンの壁はベルリンの街を東西に切り裂いて人々の往来を妨げていました。しかし街を隔てた壁は東欧諸国の民主化が後押しとなり、1989年に崩壊します。1990年にドイツは再統一を果たして、人々の往来を妨げるベルリンの壁は無用な長物となりました。
今では壁が崩壊してから30年以上の月日が流れました。もちろん壁は取り除かれており、街から姿を消しています。それではベルリンの壁のあった場所は現在どうなっているのでしょうか。今回はそんなベルリンの壁の跡地について紹介したいと思います。
ベルリンの壁が崩壊してから30年以上経った現在の壁の跡地について、こちらの記事で紹介しています。
ドイツ統一から30年、姿を消した壁
ベルリンの壁に関して多くの人が誤解していることがあるでしょう。それは壁が築かれた場所です。ベルリンが位置するのはドイツの中心部ではありません。東西ドイツ時代にベルリンは東ドイツ側に位置してました。ベルリンは東西に分割されたため、西ベルリンは東ドイツにある陸の孤島のようになっていたのです。
しかし多くの東ドイツの人々が西ベルリンへと逃れたため、東ドイツや東ベルリンとの間の往来を妨げるために壁が築かれたのでした。つまり、西ベルリンを囲むようにベルリンの壁は築かれたのです。1989年に壁が崩壊すると、街の中心部にある壁は再開発のために姿を消していきます。そして今では壁があった場所を見つけることは簡単でなくなったのです。
桜並木となった壁の跡地
街の中心部とは異なり、ベルリンの郊外では多くの壁の痕跡を見つけることができるでしょう。というのも西ベルリンと東ドイツの境界だった場所は、今でもベルリンとそれに接する町の境界となっており、開発はあまり行われていないからです。
今回紹介したい場所は郊外にあるベルリンの壁のあった場所、ベルリン南部に隣接する町テルトーとベルリンとの境界です。春になると、そこはピンク色の帯を生み出します。その理由は壁の跡地に桜が植えられており、桜並木となっているからです。春には桜の花が壁のあった場所をピンク色に染めるのです。
日本から贈られた桜並木
ベルリンの壁に沿って桜が植えられているのは、ここだけではありません。これ以外の場所でも桜は壁の跡地に植えられており、今では春に美しい花を咲かせるのです。しかし、なぜベルリンの壁があった場所に多くの桜が植えられているのでしょうか。これには日本が関係しています。
ベルリンの壁が崩壊した時に日本のテレビ局のテレビ朝日がキャンペーンを行い、桜の植樹のための募金を募ったのです。1億円以上もの集められた募金によって1万本の桜がベルリンに植えられました。そしてベルリンの壁という暗い歴史の場所を市民の憩いの場所に変えたのです。
ベルリンの壁の跡地は桜並木として憩いの場に
ベルリンの南部の町テルトーとベルリンとの境界には、およそ1000本もの桜が植えられており、約1キロの桜並木となっています。そして春には壁のあった場所はピンク色に染まるだけでなく、人々の集まる場所となります。
テルトーの桜並木では桜の咲く時期に合わせて、日本の桜祭りというフェスティバルを開催しており、そこには多くの人が訪れます。そこでは屋台が出るだけでなくパフォーマンスやコンサートなども開催され、多くの人が楽しめる場となっているのです。
ベルリンの壁の現在、テルトーでは美しい桜並木に
ベルリンの壁の現在の姿ですが、一部の保存された場所を除けば、使える用途も無く開発の妨げとなっているため、そのほとんどが姿を消しています。しかしテルトーの桜並木のように壁があった場所に桜が植えられて今も壁の痕跡を感じられる場所もあるのです。特にテルトーでは壁がもたらした悲劇を伝えるだけではありません。壁のことを気付かせつつ多くの人が訪れる憩いの場所となっているのです。
そして、桜の美しい花はドイツの再統一を表していると言えるでしょう。もしベルリンを訪れる機会があれば、ぜひベルリンの壁跡地に植えられた桜並木を訪れてみてください。壁の歴史を感じるだけでなく日本からもたらされた美しい桜並木を楽しむことができるはずです。
今もベルリンの壁が残されているベルリンの壁博物館については、こちらの記事で紹介しています。
テレビ朝日さくら平和通り / TV-Asahi-Kirschblütenallee
アドレス: 14513 Teltow
最寄駅 : Sバーン「Lichterfelde Süd」駅
Web-Site : テルトー市の桜情報