白樺に囲まれた「壁の道」
奇妙な風景を生み出す集合住宅群「グロピウスシュタット」を後にして、「ベルリンの壁」を辿って、「壁の道」を東へと進みます。
この周辺では壁のあった場所に白樺の木が植えられていました。それらの木々は細く、気持ちの良い初夏の日差しを取り込んでいました。また白樺の木は太陽の光に白く反射して「壁の道」に明るさをもたらします。
この周辺の道は「ベルリンの壁」を辿るルートで最も気持ち良い場所の一つでした。
ベルリンの壁の無人地帯が残る場所
「壁の道」を自転車で進んでいくと、開けた場所へと出ていきます。ただし少し様子が変です。というのも「壁の道」に沿って広がるのは木々の無い平原。耕地でもなく何にも利用されていないようです。
それは「西側」のベルリンの住宅地と、「東側」のブランデンブルク州の耕地の間に挟まれた部分に広がっています。これは「ベルリンの壁」の横に造られた、壁への接近を防ぐためのスペース、無人地帯の跡のようです。
多くの無人地帯の跡は植樹などで自然に覆われて、その姿を確認することができません。しかし、ここでは今もなおその姿を残しているのです。
ベルリンの壁と無人地帯
「ベルリンの壁」と言うと、多くの人は1枚の壁を思い浮かべるかもしれません。しかし多くの場合、壁は2枚ありました。1枚は東西の境界に築かれたもの。そして、もう1枚はその壁への接近を妨げるもの。
その2枚の壁の間には、木々や植物を取り払い、建物を撤去して見通しを良くした無人地帯があったのです。つまり、「ベルリンの壁」は、一般的には2枚の壁と無人地帯がセットとなった場所だったのです。
今では「ベルリンの壁」はおろか、無人地帯もほとんど残されておらず、その姿を見つけることは簡単ではないでしょう。
壁のあった時代から残されたもの
「壁の道」を東へと向かうと、ルードー(Rudow)地区に入ってきます。ここで目に入ったのは道に沿って等間隔で並ぶ街灯。
今まで「壁の道」では街灯を見たことはありませんでした(そのため、夕方以降に走ることはお勧めできません)。しかも、周りに住宅も無ければ、人が利用するような施設もありません。
これは「ベルリンの壁」のあった時代のもので、逃亡者を見つけるために無人地帯を照らしていた照明のようです。こうした東西ドイツ時代から残されたものは、ここに壁があったことを強く実感させてくれるのでした。
変わりゆく風景
街灯は等間隔に並び、それがしばらく「壁の道」に沿って続いていきます。しばらく自転車で走っていると、何やら動物の鳴き声が聞こえてきます。その声の方を向くと、見えるのは多くの牛。
餌を食べたり、「壁の道」を訪れた人に餌をねだるなど、牛たちはのんびりと過ごしています。ここでは無人地帯が牧場へと転用されていて、牛が放牧されているのです。
無人地帯は広さもあり、障害物も無いため、牛を飼育するには都合が良かったのかもしれません。壁崩壊から30年以上の月日は、逃亡を妨げるためだけの不毛な空間を、動物たちの生活の場へと変えていました。