東へと進むにつれて変化する風景
「ベルリンの壁」に沿って自転車で東へ進んでいきます。やがて、ベルリン南部のリヒテンラーデ (Lichtenrade)へと入り、今までと同じようにベルリンとブランデンブルク州の境界部分を走ることになります。
相変わらず「ベルリンの壁」があった場所から眺められるのは圧倒的なブランデンブルク州の風景。広大な耕地には遮るものは何もなく、遠くに民家が小さく見えるだけです。
しかし、東へと向かい続けると、風景には今までと異なるものが見えてきます。それは郊外の風景には似つかわしくない多くの高層の建物。それはベルリン郊外に築かれた巨大な集合住宅群です。
ベルリンの東西分裂が生み出した「グロピウスシュタット」の高層化
多くの高層ビルは「グロピウスシュタット(Gropiusstadt)」と呼ばれる集合住宅群です。1950年代末に計画されたものですが、1961年に「ベルリンの壁」が築かれ、街が東西に分割されたことにより、大きな影響を受けています。
街が分かれたことで「西側」では住宅地の不足が明確となり、より多くの住宅が必要となったのです。そこで「グロピウスシュタット」では、より多くの住人を迎え入れるために、本来の計画よりも建物が高層化されることになりました。このようにしてベルリン郊外に高層ビル群が生まれたのです。
「グロピウスシュタット」のグロピウスとは
勘の良い人は「グロピウスシュタット」が近代建築の巨匠ヴァルター・グロピウスと繋がりがあることに気付いたかもしれません。
その名前にある通り、ヴァルター・グロピウスによって手掛けられているもの。グロピウスは今では伝説となっている美術学校「バウハウス」の初代校長であり、またその校舎を設計した建築家としても知られています。
そんなグロピウスの晩年の作品の一つであり、また特徴的な集合住宅群が「グロピウスシュタット」なのです。

「グロピウスシュタット」が生み出す風景
「ベルリンの壁」により計画の変更を余儀なくされた「グロピウスシュタット」ですが、壁に隣接していることは大きな特徴と言えるでしょう。
ベルリンには他にも郊外に建てられた高層の集合住宅はあります。しかし、ここまで壁に隣接しているものはないのです。そのため「グロピウスシュタット」を、「東側」の耕地の広がるブランデンブルク州から見ると、異様なものに感じられるでしょう。
のどかな耕地の奥に突如として現れる高層ビル群。これは「ベルリンの壁」を訪れたなかでも最も印象的な風景の一つでした。
ベルリンの壁無きあとも壁の痕跡を感じさせる風景
高層ビルと耕地の組み合わせが、都会と田舎という対照的なものを合わせた風景となり、一度見たら忘れることができない「グロピウスシュタット」の風景。
ですが、それだけでなく「東側」と「西側」の組み合わせの風景でもあるのです。「西側」の高層ビル群、そして「東側」の耕地。「ベルリンの壁」が撤去されても、そして東西ドイツが統一して30年以上経っても、ここでは今も壁の「東側」と「西側」を見て取ることができるのです。