ベルリンと言えば、多くの人が思い浮かべるのはベルリンの壁でしょう。それは一つの街を二つに分断していました。そして長期間にわたって人々の往来を妨げていたのです。そんな壁が崩壊して30年以上に月日が流れ、壁は街から姿を消して、その痕跡を見つけるのは簡単ではありません。
しかし今でも壁の存在を伝えるものが残されています。その一つがチェックポイントチャーリーです。今回こちらの記事では、東西ドイツの分断の歴史を伝えるチェックポイント・チャーリーについて紹介したいと思います。
ベルリンの壁にあった東西の通り道
冷戦を象徴するものとして知られるベルリンの壁ですが、それが築かれたのは1961年のことでした。ドイツは東と西に分断されるのですが、ドイツの首都だったベルリンも同じく分断されたのです。東ドイツ側にあったベルリンは、陸の孤島になりました。そして街の西側部分が160キロにも及ぶ壁によって囲まれたのです。
このようなベルリンの壁ですが、東西を完全に分断していたわけでなく、一部の道路では限られた人々が移動を許されていたのです。その一つが今回紹介するチェックポイント・チャーリーです。
東西ベルリンの分断の場所、チェックポイント・チャーリー
チェックポイント・チャーリーがあったのはベルリンの中心部です。現在では多くのオフィスが集まるエリアとなっており、この場所に壁が築かれていたとは思えないでしょう。チェックポイント・チャーリーでは検問所が設けられ、外国人と外交官が通行を許されていたのです。
もちろん検問所周辺にはバリケードが設置され、厳重な警備が敷かれていました。そんな場所は東西陣営の対立の場にもなっており、1961年にはアメリカ軍とソ連軍の戦車が向き合うという事件も発生しています。そのため冷戦を象徴する場所と言ってもよいでしょう。
現在と過去の姿のギャップ
1989年にベルリンの壁は崩壊し、ドイツは再統一されるのですが、無用の長物となったベルリンの壁は街から姿を消します。チェックポイント・チャーリー周辺も例外ではなく、現在その周辺には壁は残されていません。
かつて検問所があった場所にあるのは、再建された検問のための建物です。そして検問所近くにあった西ベルリンと東ベルリンの境界を伝える看板も立てられています。
そんな境界ですが、現在では多くの人が通り抜け、その横を車が走り抜けていきます。そのため、この場所を境にして、街が分断されていたことに驚かされるでしょう。
過去の状況を彷彿とさせる東西兵士の写真
このようなチェックポイント・チャーリーですが、とても印象的なものがあます。それは巨大な顔写真で、検問所には南と北に向かって2枚の写真が設置されているのです。これはアメリカ軍の兵士とソ連軍の兵士の写真です。
アメリカ軍の兵士は、かつての東側を向いています。一方ソ連軍の兵士はかつての西側を向いて設置されています。このように、写真はかつてこの場所がアメリカとソ連が戦車で向き合った対立の場所であったことを伝えているのです。
東西ドイツの歴史を感じられる場所
チェックポイント・チャーリーには、この他にも屋外展示施設があり、当時の様子を写真などを通じて理解できる場所となっています。そのため、この場所で何が起きていたのか、そしてベルリンの壁とは何だったのかを学ぶことができるでしょう。
またベルリンの中心部にあり、近くには地下鉄の駅もあります。歩いて10分ほどのところにはベルリンの壁が残されている場所があります。そのためベルリン観光には打ってつけの場所と言えるでしょう。もしベルリンの壁や東西ドイツの歴史に興味があれば、ぜひ訪れてみてください。
チェックポイント・チャーリー / Checkpoint Charlie
アドレス:Friedrichstraße 43-45, 10969 Berlin
開館時間:屋外のため常時
入場料:無料
Website:チェックポイント・チャーリー
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ベルリンの壁個人ガイド
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