ドイツは長い歴史を持つ国ですが、そこには負の歴史もあります。それはナチスの歴史です。1933年にヒトラー率いるナチスがドイツの政権を握り、ユダヤ人の迫害、ホロコーストを行いました。大量殺戮を進めたヒトラーはドイツの負の象徴ともなっており、それにちなんだものはほとんど残されていません。
しかしベルリンにはヒトラーが自殺を遂げた最後の場所があります。そこには何も残されていませんが、ベルリンで起きた歴史的な出来事を感じさせる場所として、多くの人に知られています。
今回の記事では、そんなヒトラーの最後の場所となった現在の総統地下壕の様子などについて紹介したいと思います。
第二次世界大戦末期のベルリンの戦い
ヒトラーの地下壕の前に、まず第二次世界大戦末期のドイツの状況について簡単に説明したいと思います。1939年から始まる第二次世界大戦ですが、ドイツはイギリス、フランス、アメリカ、ソ連という連合国と戦っていました。
戦争末期には、西からはイギリス、フランス、アメリカが攻め込み、東からはソ連が攻め込んでいる状態でした。ベルリンはドイツ東部にあり、戦争末期の1945年4月にはソ連軍によって包囲されていたのです。4月下旬にはベルリン市街戦が始まり、市内中心部は戦闘によって徹底的に破壊されたのでした。
ヒトラーが最後の日々を過ごした総統地下壕
このような状況でヒトラーが滞在していたのは総統地下壕でした。地下壕が位置していたのは現在のポツダム広場の近くで、ブランデンブルク門にも近い場所。そこにはヒトラーが執務を行っていた総統官邸があり、その庭に地下壕が築かれたのでした。
以前からあった地下壕でしたが、ドイツの戦況が悪くなってくると、1943年に防御機能が高められたものが築かれています。それは2.5メートル以上の厚さ持つコンクリートが使われており、天井部分はその厚さは4メートルもあったと言われています。戦争末期にヒトラーは安全のためにこのような地下壕で暮らしていたのです。
ヒトラーの死とベルリン陥落
1945年4月末にはベルリンでの戦況は悪化の一途をたどります。首脳部の一部はベルリンを脱出していますが、ヒトラーはベルリンに留まります。そんな中で、4月25日にベルリンはソ連軍によって完全に包囲されました。
4月29日には首都防衛の限界を迎える報告を受けて、ヒトラーは決断します。当日に恋人であるエヴァ・ブラウンと結婚式を執り行い、翌日に総統地下壕の中で自殺を果たしたのでした。
そしてドイツの敗戦は決定的となり、5月2日にベルリンのドイツ軍は降伏したことでベルリンは陥落します。そして5月7日にはドイツは無条件降伏を受け入れて、ドイツの第二次世界大戦は終わったのでした。
総統地下壕の現在
このようにヒトラー最後の地となった総統地下壕ですが、現在その痕跡は何も残されていません。戦後ナチスの聖地とならないように建物は破壊されています。
地下壕はあまりに頑丈であるため完全に破壊することができず、地下に残った構造物は埋められています。いずれにせよ今では地下壕を訪れても、その痕跡を見つけることはないでしょう。
地下壕があった場所にあるのは東ドイツ時代に建てられた集合住宅と駐車場。現在、総統地下壕があったことを気付かせるのは、地下壕の情報を簡単にまとめた看板だけなのです。
しかし市内中心部ということもあり、多くの人が近くにあるブランデンブルク門などの観光に合わせて訪れています。そのため何もない集合住宅を眺める観光客の姿を見ることになるのです。
ヒトラー最後の地/歴史の転換の場所としての総統地下壕
何も残されてはいない現在の総統地下壕ですが、そこはヒトラー最後の地であり、ナチスの時代が終わった歴史的な場所です。
こうした場所はドイツの負の歴史を気付かせてくれるかもしれません。そして同時に戦争が巻き起こした悲劇を考えさせてくれるでしょう。何もない場所ですが、そこで起きた出来事がドイツを変えた重要な場所なのです。
総統地下壕 / Führerbunker
アドレス: Gertrud-Kolmar-Straße 14, 10117 Berlin
開館時間 : 常時
入場料 : 無料
最寄駅 : Sバーン、地下鉄U2「Potsdamer Platz」駅
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